にこ📚

人生は物語。

それでも、想像力。「罪の声」

昭和の未解決事件を描いた作品、罪の声。

映画化もされ話題となっていますが、すべては、巻末に書かれた、「あの子どもたち」に思いを馳せるためなのだろうなと感じています。

 

 

この物語は、グリコ・森永事件という、1984年から85年に実際に起こった事件をもとに作られています。

グリコ・森永事件は、グリコ社長の誘拐に始まり、青酸ソーダをお菓子に混入しばらまくなどした、一連の企業脅迫事件です。

 

そして、この事件では、犯人からの脅迫文に、子どもの声が3度使われました。

この物語は、その子供たちはその後どんな生活を送って、そして現在はどうしているのか?という作者の想いによって書かれたものだと言えます。

 

事件のリアルさ

実際に起こった事件をもとにしているため当然といえば当然ですが、リアルなのです。年月日、時刻まで詳細に記載され、臨場感にあふれ、読んでいてハラハラします。

 

事件の流れをささっと客観的に説明する時もあれば、当時の犯人の動きや警察の動き、そこで行われた会話まで詳細に、まるでその場を見ていたかのように語り掛ける場面もあり、その使い分けによって、事件を時にはグリコ・森永事件として、時にはギンガ・萬堂事件(この物語内での事件名)として見ることができるのです。その技術力には圧倒されます。読みながらネットでグリコ・森永について検索すること間違いなしです。

 

 

本当にこんな背景があったのではないか

子どもたちの、周りの人間の、その後は…。時々どこからがフィクションでどこからが現実が分からなくなるくらい、本当に子どもたちは事件後ああやって生活をして、あんな思いをしているのではないかと思ってしまうのです。

 

様々な可能性の推理力や想像力、調査力など、作者の多彩さが分かる作品だなと感じます。

 

この「物語」がもつ力

声を利用された子どもたちの今について書かれたのがこの作品です。作者は声を使われたのは犯人ではなく、未来ある子どもたちだということを強調していました。

 

本当にこうだったかもしれない、傷つき、脅され、普通の人生を送ることができなかったかもしれないと、私達に思わせてくれる作品です。

 

では、見えてこなかった者たちの人生が(事実ではなかったとしても)見えたとして、それが何かの解決になるのか?これから起こる事件の抑止になるのか?

 

それは、ならないと思う。

あの子供たちが自分の人生について知ってもらったところで、今更何も救われないし、これから犯行を起こそうとしている人たちがこれを読んで改心するなんてことはありえないと思います。

 

それでも、想像すること。報道されるものの裏にある、一人ひとりの人生を慮ること。

あの声は、「犯行に使われた声」でもあり、「一人のこどもの声」でもあると認識すること。

 

それが、この物語の持つ力なのではないかと思っています。