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物語を語りたい

言葉のダムを開けてくれる本「きいろいゾウ」

想いはたくさんあるのだけれど、なんとなく言わないでいる。言わなくたって沢山の言葉や意見が代弁してくれるからいつも聞いているばかり。

そのうち、自分が感じていることはなんなのか分からなくなってしまう。

現代って、そんなことばかりではないでしょうか?私も、自分の想いや感じることに鈍感になってしまう毎日です。

 

そんな時に読んでほしい本が西加奈子さんの『きいろいゾウ』。不思議と、読み終わった後にするすると感情や想い、そして言葉が出てくるのです。

 

 

 

本紹介

「ムコさん」と「ツマ」の夫婦が交互に語り進んでいく物語。動物や植物と会話ができたり、誰とでも仲良くなってしまう「ツマ」と見た目は怖いが優しく、冷静な「ムコさん」。

温かいこの2人の田舎暮らしに、笑っちゃったり、泣きそうになったり、戸惑ったり…感情がぶんぶん揺さぶられます。

 

何に私たちの言葉は遮断されているのか?

さて、ツマの感性がとても豊かなのはもうお分かりだと思います。

 

でも実際には、動物や植物とおしゃべりできるという人って、信じてもらえなかったり、変な人だと思われがちですよね。

 

けれど私は最近思うのです。目に見える絶対的な事実ではなく、自分の心から発生する言葉にできない感情そのものを信用すべきなのではないかと。

 

言葉にできる範囲、可視化できる範囲で感じたことしか、自分自身でさえ気づくことができない社会になりつつあると感じます。

それに、一つひとつの自分の感情に気づいてしまうと苦しくなったり辛くなったりしてしまう。自分の防衛のためにも鈍感になっているのかもしれません。

 

しかし、感情の動きに鈍感であればあるほど、自分をどんどん見失ってしまう。それが導く幸福度の低さ、自殺率の高さ。さらに、他人の感情にも鈍感になってしまい、ハラスメントやいじめにも繋がってくるのかもしれません。

 

「変な人」と片付けるのか、愛しいと思うのか

ツマの感性により、田舎のご近所さんは全員、「村人A」のような背景がのような存在ではなく、ユニークすぎる愛しい存在になってくる。

 

やっぱり今って、多様性を掲げつつも、初めて会う人が「自分と合わない人だったらどうしよう」とか気にかけたり、自分とルールが違う人に対して簡単に諦めてしまうムードが漂っているように感じるのです。

誰かを過剰に褒めたたえたり、「他人とは違う自分」を作り出そうとしたりすることで、「すごい人/そうじゃない人」「非凡な自分/平凡なあなた」と、知らず知らずのうちに誰か(時には自分)を下げてしまい、境界線を引いているように思うことが多いのです。

 

これってすべて、他人と距離を置く行為であり、「村人A」を増やしているのではないでしょうか?

 

ツマの人やモノへの接し方からは、これらとはかけ離れた、「変!最高!大好き!」という、人への感性の深さを感じました。

 

「変」を見つけ、それを「愛しい」にできる力。

私の目標です。

 

「伝える」って大事

相性抜群の夫婦でも、一番大事なことが言えていなかった。聞けていなかった。

分かり合おうとすることとずっと仲良しでいることが難しいからこそ、言いたいことが言えない、聞けない。

 

みんな違うのだから、違う世界を生きているのだから、感じることももちろん大事だけれど、言葉にしなくてはいけない時が来るのです。

 

どうして伝えなければいけないのかというと、それは大好きな人と自分の世界を共有するためなのだ、と気づきました。

 

私も、あの時恋人に言えなかった些細な気持ち、家族に言えなかった寂しさを思い出しました。

 

「日常」を描き出すすごさ

きいろいゾウは、いわば私のバイブル。何十回も読み返しては心が綺麗になった気持ちになり、毎回違った気づきがあるのです。

 

この物語はどこまでも、「ふたりの日常」なのです。人生逆転劇があったり、殺人事件が起きたり、魔法が使えたりしない。

 

それでもこんなに心が温まり、感情が揺さぶられ、気持ちが整理される。そんな物語を描くことができるのも、西加奈子さん自身の人への感性や愛の深さがあるからこそだと思っています。

 

また、2006年の作品ですが、さらにSNSの発達やコミュニケーションの多様化が進んだ今も色褪せない、むしろ今だからこそわざわざ立ち止まってゆっくり読む時間を作りたい、そんな作品だと思います。