にこ📚

人生は物語。

責任は誰にあるのか考えさせられる映画「誰も知らない」

3日に1度は報道されるネグレクトや虐待の事実。

昔からあったのかもしれませんが、目にする機会が増えてきました。

昔に比べ専業主婦は減り、男女平等の意識が強まってきている今、その責任は本当に親だけにあるのか、考えるべきではないでしょうか。

 

その事について考えさせられた映画が、「誰も知らない」です。

 

悔しい事件

2004年に公開されたこちらの映画。幼い柳楽優弥さんが印象的ですが、辛く、悲しく、そして怒りを覚えるこの物語は、ある事件をもとに作られています。(詳細は調べてみてください)

 

辛い物語でありながら、同時に、育児放棄をした母親だけではなく、家族を取り巻く周りの環境や現代社会に対する問題が浮かびあがります。

 

母と子の関係

少なくとも映画内では、母親は子どもをほったらかしにしながらも、定期的に帰ってきては子どもたちにおもちゃを買ってあげたり、楽しく会話をしています。

 

家にいる間は「子どもたちを本気で愛している母親」にしか見えないのです。

 

だからこそ、この物語において、母親だけを責める気にはなれない。母親は、自分の幸せを必死で模索しながらも、子どもたちも全力で愛しているように見える。

 

ここで私は2つ、課題だと感じることがありました。

 

①親権ってどうあるべきなのか?

母親に親権があるようだけれど、元夫たちが、子どもが困っていても助けてくれないのはどうなんだろう、と思いました。

 

離婚したからといって、子どもにとって母親も父親も一人なのに、父親からは助けてもらえないというのはあまりにも無責任…。

 

そして、男女に賃金格差がある社会にとって、母親だけにすべてを押し付けるのも厳しいということを分かっていないといけない。

 

「自分も楽ではない」としても、自分の方が優位にある、特権があるということを自覚しなければならない

 

②女性に多い傾向

こういう事件を聞くと、だいたい「母親が」と聞きませんか?

つい最近、車内に子どもを放置した親も女性でした。

そこから考えるのは、やはり子育ての責任は母親だと考える人が未だに多いのかなということです。

「普通の家庭の母親」ができないのは、本人のせいである、と。

 

タイトル「誰も知らない」

また、近所の住民は誰一人、この家族の問題に気づかない。

 

そう、子どもたちの現状は、「誰も知らない」のです。

 

「誰も知らない」状況を作り出していることこそ、一番の課題なのではないでしょうか。

 

それは私の住んでいる都市部で顕著かもしれません。近所の挨拶や一緒に行事に参加することなども、以前に比べれば少なくなっています。

 

他人のことを気にかければおせっかいと言われ、善意で助ければ偽善者と言われる。人を助けることが悪いことのようになっている

 

以前は当たり前にあった関係性というものが、だんだん否定されている結果、この映画のような事件が絶えなかったり、自殺率が増えるのではないでしょうか。

 

さいごに

この映画を観てから、身の回りに起こっていることは当事者の責任であり、加害者の責任であり、彼らを取り巻く社会の責任であり、私の責任でありあなたの責任である、ということを強く感じました。

 

「愛がない」「あの人はおかしい」と言うことは、自分の責任から逃れる発言でもあるのではないでしょうか。

 

だからといって、結局一歩外に出れば私は近所で行事を興すほどの顔の広さや推進力はないし、シングルマザーを助けてあげられるほどの財力も頭脳もない。

 

それでも、自分にも責任があると思って、考え続けることだけはやはりやめてはいけないし、身近な問題を知りに行かなければならないし、こうして文を通してたった一人でも考える人間を増やすことをしなければいけない。

 

そう思って今回はこの映画を紹介することにしました。