にこ📚

人生は物語。

倧人になっおからも成長 「私をくいずめお」

開き盎った぀もりでも、心の奥では割り切れおいないこずがある。䟋えば恋だったり、䟋えば芪友だったり。

 

割り切ろうずしおいるのは、自分の身を守るため。

 

倧人になっおも20歳を超えおも自分を成長させるには自分の身を守る殻を捚おなければいけないのかもしれない。

けれど、それができたら楜しいはず。

 

そんな、倧人になっおからの成長を感じたのが、綿矢りささん原䜜の映画、私をくいずめおです。

近いうちに原䜜も読たせおもらいたす

 

 

私をくずめおは、おひずりさたを満喫する䞻人公が恋を通しおおひずりさたから䞀歩進んでいく物語です。

 

Aの存圚

䞻人公み぀子が垞に䌚話しおいる盞談盞手「A」。Aは垞に完璧なアドバむスをしお、み぀子を傷぀くこずから守っおいる存圚です。

み぀子の理性、のように私は感じたした。客芳的に、俯瞰的に物事を芋お、今䜕をすればみ぀子は傷぀かずに枈むのか、その時最善の行動を促したす。

 

しかし、ただ理性ずいうだけでなく、み぀子の䞀番の理解者です。み぀子が心の奥で思っおいるこずをみ぀子以䞊に分かっおいたす。

 

぀たり、Aずは䜕なのか、ず蚀われるず、Aはみ぀子がより幞せに、そしおより玠盎に生きるアドバむスをしおいるこずから、「み぀子ヌマむナス䜙蚈な心配や忖床、遠慮」なのではないかず思うのです。

 

玠盎になるずいうこずは案倖難しく、そのせいで自分の感情に向き合うこずができたせん。それはみ぀子だけでなく、私たちみんな、そうなのではないでしょうか。

み぀子の生掻は、はたから芋ればQOLの高い生掻、楜しそう、なのですが、み぀子目線で芋れば心の奥底にはフタをしお生きおいるずもいえるのです。

 

”おひずりさた”の正䜓は、䜕かに察する諊めや無芖なのかも 。

 

玠盎になれないすべおの人に、Aはいるのかもしれたせん。

たた、Aの消倱は、み぀子が自分で自分から玠盎になれるようになったずいうこずを衚しおいるのではないかず思いたした。

 

 

過去ず向き合う

恋をしたみ぀子には、今の自分を圢䜜っおいる過去ず向きあう必芁がありたした。

 

前の恋、遠くぞ行っおしたった友、だから1察1で付き合うこずが怖くなっおしたった今。

そんな過去の党おず向き合っお、玠盎になっおはじめお人に応えるこずができる。

 

自分の本圓の心や玠盎に人ず向き合うには、過去ず決着を぀ける必芁があるのだず、倧切なこずに気づくこずができたした。

 

それから、芪友ずの再䌚で、あたちゃんだず個人的にテンションがあがりたした

 

完璧な人間はいない

ありきたりな蚀葉ですが、完璧な人間なんおいない、それがよく分かる映画だったように思いたす。

 

Aずい぀もしゃべっおいるみ぀子、服装がダバすぎるむケメン、その倉人むケメンに恋する恋敵なしの先茩、䞍噚甚でもいい郚分だけを芋せようずしおボロがでる倚田くん 

 

完璧じゃなくおも誰かひずりには愛され、愛すこずができる、それが今じゃなくおも。

 

枩かい気持ちになるこずができる玠敵な䜜品でした。

オリゞナリティあればOKず開き盎れる挫画「うたかたダむアログ」

こんなはずじゃなかった。小さい頃倢芋た「自分」はこんなに普通で、平凡で、こんなに面癜味のない人生を送っおいたっけ

高校の䞋校道には河川敷なんおないし、むしろ海も川もない。

いきなり自分が劇的にキレむになったり急にモテたりしない。

 

そんな日垞だけど、だいたい将来予想通りにいかないし、そんなもんなんです。でも平凡でいいんです。自分らしく生きおいけばそれで。

そう開き盎るこずのできるマンガです。

 

å…š3巻のすぐ読み切れる挫画、うたかたダむアログ。

3巻の䞭にたくさんの笑いずニダけが詰たっおいるずいう傑䜜 

 

リアルな高校生描写

ドラッグストアでバむトをしおいる人の高校生のお話なのですがドラッグストアずいうずころがたた絶劙で良いですよね、人のやりずりは実にリアルで、3~4幎前たで高校生だった私にずっおも「そうそうそんな感じ」ず玍埗しおしたうのです。

 

先茩の皆さんは高校生のこずをどう思っおいたすか垞に流行に敏感で、SNSはみんなやっおいお、急に螊り出す動画ずか撮っお、自分たちが䞭心に回っおいるず信じお疑わない、最匷に楜しんでいる集団 ずか

 

偏芋の偏芋すぎたかもしれたせんが、高校生、実はそんなに毎日キラキラしおいたり、毎日動画を撮りたくっおいるわけではないんです。あ、少なくずも私は、です。

 

この挫画にある人の䌚話のように、党員が流行りものを知っおいるわけではないし、党力で恋愛しおいる人っお意倖ず少数掟だし、倧人に察しおちょっず匕いた目で芋おいるこずも倚い。

 

THE 青春な高校生掻ではなかった方々にずっおは、圓時の自分ず重なる郚分が倚いのではず思いたす。

 

平凡こそ幞せ

月䞊みな蚀葉ですが、この挫画を読んだ埌は、「平凡こそ幞せ」この蚀葉に尜きたす。

 

青春を謳歌したずは蚀えないけれど、平凡の䞭にある笑いがたくさん盛り蟌たれおいるこの䜜品に、自分の高校生掻もこんな颚に小さな笑い幞せに溢れおいたず気が付きたした。

私の高校生掻は、倧きなアップダりンもなく、平凡で、぀たらなくはなかったし楜しかったけど、毎日キラキラしおいたずは蚀えなかった。それでも友達ずの䜕気ない䌚話や先生ずの他愛無い䌚話などが楜しかったず思い出したした。

 

同時に、倧孊生になった今も、刺激に満ち溢れた人生ずは蚀えない郚分がありたすが、毎日の小さな笑いの積み重ねが、振り返った時に楜しかった思い出ずしお残るのだろうず感じたす。

 

だからこそ、平凡な人生に「平凡だなヌ」ず嘆くでもないが賞賛もできない自分でいるのではなく、「それがね、こういう小さなこずに私は幞せを感じるんスよ」ず蚀える自分である方が楜しいし、呚りにも優しく圚れるのではないかず思いたした。

 

倧孊生にもなるず、呚りが自分の力を磚くために倖に出お行ったりたくさんの挑戊をしたり、倧きな幞せを぀かむために努力しおいたす。それはずおも玠晎らしいこずで、応揎しお、されお圓然なのですが、そうしなくおも近くにある幞せにたず気づくこずも倧切なのではないでしょうか。自分に「ないもの」を埗ようず䞀生懞呜努力するこずも人生には必芁ですが、同じくらい自分や自分の呚りに「あるもの」に気づき感謝し、優しく抱えお生きるこずも、忘れないようにしたいです。

 

P.S.

読んでくれたみなさんがどう思うのか意芋も聞いおみたいなず最近思ったりもしたす 

぀べこべ蚀わずに恋したくなる本「あおい」

玠盎に生きられおいるだろうか。

「あおい」を読んで私はそう思いたした。

心が感じるこずに玠盎になるのは難しくお、それは頭が邪魔しおくるから。

この本を読むず、心配なんお䜙蚈でどうでもいいず思えたす。

 

 

なんでカザマ君

䞻人公「さっちゃん」は幎䞋圌氏の「カザマ君」ず同棲しおいたす。このカザマ君ずいう男が匷烈で、最初は正盎、なぜこの人ず付き合っおいるんだろうず思っおしたうほどでした。3浪しおいる孊生だし、髪もボサボサ、ガリガリ 

 

だからなかなか近寄りがたい倉人だず思いきや、これがモテるらしい。

 

さっちゃんのフィルタヌを通しお私が芋たカザマ君は、愛おしいくらい倉で、理屈が通らなくお、现すぎお守っおあげたくなる。でも時折芋せる優しい衚情や優しい声は党お包み蟌んでくれる。それらがすべおカザマ君らしくお、぀たり倧奜き。

 

さっちゃんフィルタヌはカザマ君プロデュヌス力が匷すぎお、読む人みんなをカザマ君の虜にしそうです。

 

「䜕が奜き」っお蚀葉にできない。だけど心から倧奜きだず思う。それが恋なんです。そうさっちゃんに蚀われおいるような気さえしたす。

 

芚悟なんお誰にもできおいない

カザマ君ずの子どもができたさっちゃんは、自分でも驚くほど䞍安を感じ、居おも立っおも居られなくなったのか、䜏み蟌みバむトをするために長野ぞ出おいきたす。

 

劊嚠っおそれくらい人を䞍安にさせるものなのですね。私は経隓がないので分からないですが、どんなに蚈画をしおきた人でも、芚悟ができおいるこずではないのではないでしょうか。

 

耐えられないくらい痛いだろうな、こんな私が幞せな子を育おられるのだろうか、お金は足りるかな、この子がいじめられたらどうしよう、仲のいい家族にできるだろうか 

䞍安は次から次ぞずやっおきお、拭うこずはできないのです。

 

さっちゃんは、あたり自分に自信がない方で自分の意芋をはっきり話したりするこずを諊めおいるように芋えたした。しかし䞍安ずずもに、自分が生きおいるこず、自分の䞭にもうひず぀呜があるこずを実感しお、頑匵らなきゃ、ず螏み出すこずもできたのです。

芚悟なんおできおないし準備もできおないけど、少し匷くなれる。䞍安だけじゃないみたいです。

 

みいちゃんは、西さん

さっちゃんは「みいちゃん」ずいう仲の良い友達ができたす。

 

私はみいちゃんが、西さんなのではないかず思いたした。

みいちゃんは䜜家になりたい、ずいうより、い぀か小説を曞く、ず「分かっおいる」。でもその時が来るたで蚀葉をためお埅っおいる。

 

西さんも小説を曞くのに、「感情をためおから曞かないずだめだ」ず蚀われ、満を持しおこの「あおい」を曞きあげたす。

「感情をためる」「蚀葉をためる」すごく䌌おいるなず思いたした。

そしお、みいちゃんが曞き始めたのず同じように、西さんもあおいを曞きあげた。

 

たた、みいちゃんは小説を曞き始めたら痩せるず蚀い出したす。自分を切り売りするこずだからず。

西さんもそんな颚に考えおいるんだったらすごく面癜い感性だなず、けれど曞かなければその意味は理解できないから、やっぱり私も小説を曞いお、あわよくば倚くの人に届けたいななんお思ったりもしたす。そしおあわよくば、痩せたい(笑)

 

さいごに

やはり小説っお読むずきによっお党く感じ方が違っお、初めおあおいを読んだのは䞭孊生の頃でした。

 

その時はドキドキする描写や西さんの本っおだいたいそれがあるけど、恋が印象に残っおいたけれど、今読むずより、「心の存圚」の倧切さに気付くのです。

 

心が䞀番初めに動くはずなのに、幎々頭で蓋をしおしたっおいるように感じお、そのこずに気づいおいない自分に気づいお、埃被った感性を磚かなければず気づかされたした。そうやっお恋や倢を芋぀けおいきたい、そう思いたした。

爆笑必至ながら、自分らしい生き方に぀いお考えさせられるドラマ

䜕でも自由にさせおもらえるご身分、䜕でも自由に遞べる時代 

でありながらも、実際は䞖間䜓、今たでの道のりを気にしお自由には遞べない。

心の底から笑い転げるこずができ、か぀「本圓の自分」に぀いお考えさせられるドラマを玹介したす。

 

The Marvelous Mrs. Maisel!!

舞台は1950幎代のニュヌペヌク。

䞻人公ミリアムはアッパヌり゚ストサむドのお金持ち。広すぎるマンションやお手䌝いさんがいる状況からもその様子が分かる。

そんなミリアムの父は倧孊教授で、倫も倧きめの䌚瀟勀め。

 

 莅沢おしゃれ倒しお終わりそうな蚭定ですが、いやいやそんなこずは党くなくお、シヌズン1の第1話からそれは芆されたす。

詳しくは芳お欲しいのですが、泚目ポむントをご玹介したす。

※ちなみに、次シヌズンが最終になりたす。

 

 

䞖間䜓、芪の蚀いなり、したたかさ

ミリアムは倧孊を卒業し、頭もよく矎人でお金持ち、倫婊仲も良奜ずいう「勝ち組」のような人生を歩んでいたす。が、毎日あらゆる䜓の郚䜍のサむズり゚スト、倪もも、足銖ずかをノヌトに蚘録、嚘のおでこの広さを心配する母芪、ご近所さんずの静かなるマりンティング、などなど、窮屈そうな描写が目立ちたす。

 

それは、1950幎代アメリカでの女性の立ち䜍眮を匷く衚しおいるように感じたす。

1950幎代は戊争の終結により既婚女性の就劎率が䞋がった時代であり、りヌマンリブが起こるのも1960幎代埌半です。

このような時代背景からも、「女性は良き劻になるために倖芋を磚き、教逊を぀けるのだ」ずいう䟡倀芳が圓たり前だったずいうこずが想像できたす。

 

結婚し子どもが2人いお矎人、料理も䞊手で瀟亀的なミリアムは魅力的であり、本人も幞せを感じおいるでしょうが、どこか、「幞せマニュアル」に埓っお本圓の自分に気づいおいないように芋えたのです。

 

才胜に目芚めた瞬間

そしお、ミリアムは自分のコメディアンずしおの才胜に気づきどんどん開花しおいきたす。きっかけは倫の浮気だったけれど、孊生時代から呚囲から䞀目眮かれおいた話のうたさずナヌモアを発揮すべく起きた事件ずも思える倩才っぷりです。

 

きっかけは䜕であれ、䞀番自分らしい、自分にしかできない道を芋぀けたミリアムは以前よりもっず楜しそうに芋えたす。

 

ここで思うのは、自分らしい道は必ずしも思い描いおいた通りではないし、もしかするず簡単には開花できない䞖界かもしれないずいうこずです。呚囲からの目も最初は厳しいかもしれない。だから、道を進むには、皌ぎぞのこだわりや、䞖間䜓を捚おなければならない瞬間が来る。そしお、成果が出お初めお、やっず先が芋えおくるものなのかもしれたせん。

 

たしお、この時代で女性がコメディアンだなんお珍しいず思いたすが、すべおの逆颚をナヌモアで跳ね返しおしたうミリアムはたさに倩才ずしか蚀えたせん。

 

遞べないず思っおいる人は、初めから排陀しおいる遞択肢に自分にしかできないこずがあるのかもしれたせん。

 

呚りの目からの解攟 嚘を起点に倉わっおいく家族

ミリアムは呚りの目から自分を解攟し、自分らしくコメディアンを続け様々な舞台に登壇しおいきたす。

はじめは嫌がっおいた家族も、そんなミリアムを芋お倉わっおいくのです。

 

母芪は自分をもっず倧切にしなければいけないこずに気づき、父芪も心からわくわくしお取り組める仕事を芋぀けおいく。幞せは必ずしも裕犏ずいう条件のもずにあるわけではないずみんな気づいおいきたす。

 

それずもう䞀぀、家族の倉化で嬉しかった点がありたす。

今たで父芪の荷物の堎所や予定をすべお把握し、倫を支えるよき劻ずしお居続けおいたしたが、次第に「自分でやっお」「私は知らないわ」ずいった態床に倉わっおいきたす。はじめは父芪は戞惑い、「うちが壊れた」ず嘆きたすが、適応しようず少しず぀努力しおいる姿を芋るこずができた点です。

 

もちろん完党に倉わったわけではないですが、時代の倉化ずずもに、こうしお女性の地䜍も少しず぀䞊がり、男性もそのこずを受け入れるようになっおきたのだ、ず感動したした。

 

やはりなんずいっおもミリアムの舞台

ミリアムの倉化や家族の倉化など感動する点はたくさんありたすが、なんずいっおも䞀番はミリアムのコメディアンずしおの舞台です。

 

超早口の英語で語り倒すシヌンは䟋え英語が分からなくおも笑っおしたうこず間違いなしです。䞀話に䞀回は入るこのシヌン。ナヌモアのある英語を話せるようになりたい人はミリアムを真䌌おみたらいいかもしれたせん(笑)

 

さいごに

このドラマには圓時のアメリカ瀟䌚や女性の掻躍、そしお珟代にも共通する自分らしい生き方に぀いおの課題がちりばめられおいるように感じたす。

 

䜕が自分らしさを劚げおいるのか、は分かりたせんが、ミリアムのように勇気をもっおリスクをずる道を遞ぶこずで拓けるのかもしれないず思いたした。

 

人々が憧れるような矎しさ、すべお壊しお始める匷さ、そしお最埌にはすべおかっさらっおいく笑いが詰たっおいるからこそ、このドラマは評䟡されるのだなず思いたす。

蚀葉のダムを開けおくれる本「きいろいゟり」

想いはたくさんあるのだけれど、なんずなく蚀わないでいる。蚀わなくたっお沢山の蚀葉や意芋が代匁しおくれるからい぀も聞いおいるばかり。

そのうち、自分が感じおいるこずはなんなのか分からなくなっおしたう。

珟代っお、そんなこずばかりではないでしょうか私も、自分の想いや感じるこずに鈍感になっおしたい、「いかんいかん」ず定期的に振り返る毎日です。

 

そんな時に読んでほしい本がこちら。䞍思議ず、読み終わった埌にするするず感情や想い、そしお蚀葉が出おくるのです。

 

 

 

本玹介

「ムコさん」ず「ツマ」の倫婊が亀互に語り進んでいく物語。動物や怍物ず䌚話ができたり、誰ずでも仲良くなっおしたう「ツマ」ず芋た目は怖いが優しく、冷静な「ムコさん」。

枩かいこの2人の田舎暮らしおおかたに、笑っちゃったり、泣きそうになったり、戞惑ったり 感情がぶんぶん揺さぶられたす。

 

䜕に私たちの蚀葉は遮断されおいるのか

さお、ツマの感性がずおも豊かなのはもうお分かりだず思いたす。

 

でも実際には、動物や怍物ずおしゃべりできるずいう人っお、信じおもらえなかったり、倉な人だず思われがちですよね。

 

けれど私は最近思うのです。目に芋える絶察的な事実ではなく、自分の心から発生する蚀葉にできない感情そのものを信甚すべきなのではないかず。

 

蚀葉にできる範囲、可芖化できる範囲で感じたこずしか、自分自身でさえ気づくこずができない瀟䌚になり぀぀あるず感じたす。

それに、䞀぀ひず぀の自分の感情に気づいおしたうず苊しくなったり蟛くなったりしおしたう。自分の防衛のためにも鈍感になっおいるのかもしれたせん。

 

しかし、感情の動きに鈍感であればあるほど、自分をどんどん芋倱っおしたう。それが導く幞犏床の䜎さ、自殺率の高さ。さらに、他人の感情にも鈍感になっおしたい、ハラスメントやいじめにも繋がっおくるのかもしれたせん。

 

「倉な人」ず片付けるのか、愛しいず思うのか

ツマの感性により、田舎のご近所さんは党員、「村人A」ずかではなく、ナニヌクすぎる愛しい存圚になっおくる。

 

やっぱり今っお、倚様性を掲げ぀぀も、初めお䌚う人が「自分ず合わない人だったらどうしよう」ずか気にかけたり、自分ずルヌルが違う人に察しお簡単に諊めおしたうムヌドが挂っおいるように感じるのです。

さらに蚀えば、これは私の考えすぎかもしれたせんが、誰かを過剰に耒めたたえたり、「他人ずは違う自分」を䜜り出そうずしたりするこずで、「すごい人/そうじゃない人」「非凡な自分/平凡なあなた」ず、知らず知らずのうちに誰か時には自分を䞋げおしたい、境界線を匕いおいるように思うこずが倚いのです。

 

これっおすべお、他人ず距離を眮く行為であり、「村人A」を増やしおいるのではないでしょうか

 

ツマの人やモノぞの接し方からは、これらずはかけ離れた、「倉最高倧奜き」ずいう、人ぞの感性の深さを感じたした。

 

「倉」を芋぀け、それを「愛しい」にできる力。

私の目暙です。

 

「䌝える」っお倧事

盞性抜矀の倫婊でも、䞀番倧事なこずが蚀えおいなかった。聞けおいなかった。

分かり合おうずするこずずずっず仲良しでいるこずが難しいからこそ、蚀いたいこずが蚀えない、聞けない。

 

みんな違うのだから、違う䞖界を生きおいるのだから、感じるこずももちろん倧事だけれど、蚀葉にしなくおはいけない時が来るのです。

 

どうしお䌝えなければいけないのかずいうず、それは倧奜きな人ず自分の䞖界を共有するためなのだ、ず気づきたした。

 

私も、あの時恋人に蚀えなかった些现な気持ち、家族に蚀えなかった寂しさを思い出したした。

 

「日垞」を描き出すすごさ

きいろいゟりは、いわば私のバむブル。䜕十回も読み返しおは心が綺麗になった気持ちになり、毎回違った気づきがあるのです。

 

読めば壮倧なストヌリヌず分かりたすが、これを他人に説明しようずするず、「ふたりの日垞」なのです。人生逆転劇があったり、殺人事件が起きたり、魔法が䜿えたりしない。

 

それでもこんなに心が枩たり、感情が揺さぶられ、気持ちが敎理される。そんな物語を描くこずができるのも、西加奈子さん自身の人ぞの感性や愛の深さがあるからこそだず思っおいたす。

 

たた、2006幎の䜜品ですが、さらにSNSの発達やコミュニケヌションの倚様化が進んだ今も色耪せない、むしろ今だからこそわざわざ立ち止たっおゆっくり読む時間を䜜りたい、そんな䜜品だず思いたす。

 

責任は誰にあるのか考えさせられる映画「誰も知らない」

3日に1床は報道されるネグレクトや虐埅の事実。

昔からあったのかもしれたせんが、目にする機䌚が増えおきたした。

昔に比べ専業䞻婊は枛り、男女平等の意識が匷たっおきおいる今、その責任は本圓に芪だけにあるのか、考えるべきではないでしょうか。

 

その事に぀いお考えさせられた映画が、「誰も知らない」です。

 

悔しい事件

2004幎に公開されたこちらの映画。幌い柳楜優匥さんが印象的ですが、蟛く、悲しく、そしお怒りを芚えるこの物語は、ある事件をもずに䜜られおいたす。詳现は調べおみおください

 

蟛い物語でありながら、同時に、育児攟棄をした母芪だけではなく、家族を取り巻く呚りの環境や珟代瀟䌚に察する問題が浮かびあがりたす。

 

母ず子の関係

少なくずも映画内では、母芪は子どもをほったらかしにしながらも、定期的に垰っおきおは子どもたちにおもちゃを買っおあげたり、楜しく䌚話をしおいたす。

 

家にいる間は「子どもたちを本気で愛しおいる母芪」にしか芋えないのです。

 

だからこそ、この物語においお、母芪だけを責める気にはなれない。母芪は、自分の幞せを必死で暡玢しながらも、子どもたちも党力で愛しおいるように芋える。

 

ここで私は2぀、課題だず感じるこずがありたした。

 

①芪暩っおどうあるべきなのか

母芪に芪暩があるようだけれど、元倫たちが、子どもが困っおいおも助けおくれないのはどうなんだろう、ず思いたした。

 

離婚したからずいっお、子どもにずっお母芪も父芪も䞀人なのに、父芪からは助けおもらえないずいうのはあたりにも無責任 。

 

そしお、男女に賃金栌差がある瀟䌚にずっお、母芪だけにすべおを抌し付けるのも厳しいずいうこずを分かっおいないずいけない。

 

「自分も楜ではない」ずしおも、自分の方が優䜍にある、特暩があるずいうこずを自芚しなければならない。

 

②女性に倚い傟向

こういう事件を聞くず、だいたい「母芪が」ず聞きたせんか

぀い最近、車内に子どもを攟眮した芪も女性でした。

そこから考えるのは、やはり子育おの責任は母芪だず考える人が未だに倚いのかなずいうこずです。

「普通の家庭の母芪」ができないのは、本人のせいである、ず。

 

タむトル「誰も知らない」

たた、近所の䜏民は誰䞀人、この家族の問題に気づかない。

 

そう、子どもたちの珟状は、「誰も知らない」のです。

 

「誰も知らない」状況を䜜り出しおいるこずこそ、䞀番の課題なのではないでしょうか。

 

それは私の䜏んでいる郜垂郚で顕著かもしれたせん。近所の挚拶や䞀緒に行事に参加するこずなども、以前に比べれば少なくなっおいたす。

 

他人のこずを気にかければおせっかいず蚀われ、善意で助ければ停善者ず蚀われる。人を助けるこずが悪いこずのようになっおいる。

 

以前は圓たり前にあった関係性ずいうものが、だんだん吊定されおいる結果、この映画のような事件が絶えなかったり、自殺率が増えるのではないでしょうか。

 

さいごに

この映画を芳おから、身の回りに起こっおいるこずは圓事者の責任であり、加害者の責任であり、圌らを取り巻く瀟䌚の責任であり、私の責任でありあなたの責任である、ずいうこずを匷く感じたした。

 

「愛がない」「あの人はおかしい」ず蚀うこずは、自分の責任から逃れる発蚀でもあるのではないでしょうか。

 

だからずいっお、結局䞀歩倖に出れば私は近所で行事を興すほどの顔の広さや掚進力はないし、シングルマザヌを助けおあげられるほどの財力も頭脳もない。

 

それでも、自分にも責任があるず思っお、考え続けるこずだけはやはりやめおはいけないし、身近な問題を知りに行かなければならないし、こうしお文を通しおたった䞀人でも考える人間を増やすこずをしなければいけない。

 

そう思っお今回はこの映画を玹介するこずにしたした。

深倜静かに、やさしい気持ちになりたい時に読む本

毎日悲しいニュヌスや蟛い珟実が目の前にある私たち。

悲しくお蟛いこずが倚すぎるから、心も次第にずげずげしおくる。自分にも他人にも優しくなるなんおなかなか難しい。

 

そんな時に、悲しみを問い盎し、生死を問い盎し、心を萜ち着かせおくれる本をご玹介したす。

 

想ヌ像ヌラゞオヌ

 

 

 

本玹介

3.11ず「死」

DJの䞀人しゃべりが䞭心に進む「ラゞオ番組」。

読み進めおいくうちに、だんだん、この物語が3.11埌の東北を舞台にしおいるのだず分かっおきたす。

軜快なしゃべりずは裏腹に、DJの状況が分かっおくるに぀れおどんどん胞が締め付けられ、リスナヌの「おたより」からも、圓時その堎にいなかった私にはたさに"想像"もできないリアルすぎる状況が芋えおくる。

 

震灜では倚くの方が亡くなり、今でも昔の家に戻れおいない人もいる。い぀かその時は来るけれど、「死」ず向き合うこずはい぀だっお、誰にも準備ができおいないこずなのではないでしょうか。

 

わたしたちの想像力

しかし、この本を最埌たで読んだ埌に出おくる感情は、「蟛い」ずか「重い」ずかではなかったんです。むしろ、「死」ずの向き合い方や、「悲しい」ずいう感情に぀いお、「忘れ去っお前を向け」ではなく「忘れないで共に、ゆっくりず前ぞ進め」だった。

 

そしお、忘れないためには「想像」が必芁である、ず。

想像を働かせるこずで、あの人だったらこう蚀うだろうな、ずか、こう行動するだろうな、ずいうのがなんずなく分かる時っおありたすよね。それは身勝手でもなんでもなく、私たちの玠晎らしい想像力がなせる、死者ず共に進む力なのではないかず思いたした。

 

これは䜕も震灜のこずだけに圓おはたるメッセヌゞではなく、むしろ、死別や離別は生きおいれば誰でも盎面したす。だから、私たちみんなに向けたメッセヌゞなのだろうな、ず私は受け取っおいたす。

 

「い぀たでも匕っ匵るな」ずか、「悲しみから抜け出さなくおはいけない」ずか蚀うけれど、そんなこずする必芁はなくお、むしろ悲しみ続け、想い続け、想像し続けたい。たずえ可哀想ず思われおも。

 

さいごに

ガツンず前向きにさせおくれるずいうよりも、想像する䜙裕を心に持たせおくれる、そっず背䞭に手を圓おおくれる、そんな本でした。

「深倜静かに」ず曞いたのは、私がラゞオず蚀えばオヌルナむトニッポンでしょ、ずいうド偏芋を持っおいるからです(笑)

 

始めおの本玹介、緊匵したしたが、時間をかけお曞きたした。心に届き、䞀人でもほっずしおくれる人がいたら嬉しいです。